○ わの舞詩 ~短歌

令和6年1月30日更新

直接にわの舞のことでなくても、わの舞を舞う心を歌った詩でしたら、なんでもお送りください。

みんなで気持ちを共有し合いましょう。

 

はるかなる

未来へのたね

今ここに

みなでつつみし

いとしき大地

入交

 

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それぞれの 負荷はちからに たかまりて

近づく臨界 一丸突破

 

ほめられる ようにならずに どれほどに

恥さらせるか それがひかりに

 

厄災の すべてをかぶる 覚悟して

役目見きわめ 最大値出す

 

われわれは みなでひとつの 特異点

0を極めて 1に結ばる

 

本間

 

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白富士の そびえる姿 凛々しくて

かくありたいと 背筋を伸ばす

 

こころざし 同じにする 仲間たち

その共鳴は 宇宙大に

川村

 

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国想う 光の方の 旅立ちは

さらなる光 子孫に注ぎ

川村

 

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極寒の 深夜に舞いふる 雪の精

ただただ清く 大地を包む

 

ちいさなて おとなさえも つつみこむ

はばたくつばさ ときめくこころ

 

はるかより 地球愛(め)づりし かみさまを

 受け継ぎし種 根をはるわの舞

 

古谷

 

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 いかほどの たかみにとどく ことよりも

何に向かいて 歩いているかを

本間

 

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光みる その眼差しが キラキラと

輝くあなた 天が宿りし

橋本

 

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抱かれて 愛されている 幾重にも

あなたも私も 宇宙の子ども

 

子を抱く 母の姿が 尊くて

その眼差しに 神様を観る

 

泳ぐすべ わからずもがく 迷い子に

発し続ける 灯台の光

川村

 

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少しづつ からだの中に 育つはり

空飛ぶ準備 調うように

 

情報に さまようこころ 本来は

内なるすべてに つながるこころ

本間

ハレの日に 光を捧ぐ 晴れ渡る

真ん中に咲く 緋色なる華

冨田

存在と ともにあらんと あけ放つ
そそぐひかりは 身の丈こえる

本間

みなと舞い 悦びの舞い まなびのわ
体に染み入る 大地のささやき

村上

ありがたき ついのすみかと おぼしきは
みなでささげる ひかりの神殿

本間

誰ひとり もらすことなき 天の愛
あの日の涙 光となりて

E M

中心の 尊き分けひ いただいて
ひとつ輪に舞う われらひとつひ

本間

わをかさね わをかさねゆく くにたまに

あわせてわれら わをかさねゆく

清水

光無く 光ありとは 気付かなく

光の花に 触れるよろこび

冨田

今日もまた 朝になりたる よろこびに
雲の向こうの 日に手を合わす

拡末

その歩み 憂き沈むもの 包みこみ

たはた潤す 雪融けの山
 
颯爽と 風をまといて かけ集い
掲げるえにし 紡ぐ秋空

平井

ひとり行く  か弱き優しさ 打ち捨てて
猛く清らか わの舞男児

個我(エゴ)を超え 真我に至りし無垢の舞
少女のごとく 賢者のごとく

小山

先生の 高き次元の 引き上げを
受けて落ちゆく 濁りの束

 

負に観える その現象の 奥にある
その深き意図  受け取る器に

 

最奥義 惜しげもなく 伝授され
いかに受け止め いかに生かすや

 

故の方の ありありと在る 空間は

深き祈りに 鎮められ

川村

ふるさとに 集いてわになり 踊る友

日々ありがたく 大切な人

茶谷

芳しき梅の香放つ蕾みて

かく在りたしと誓い新たに

 

魂を清める講話いただけば

試練も春の訪れに見ゆ

小山

きくのはな みなもにおつることのはの

わとひろがりて あまねくひびく

 

きよかりし となりのなみに みちびかれ

えんをいただき わにつらなれり

清水

 

千賀より:上記の短歌、下記のお手紙とともにいただきました。


『はじめてわの舞講習会に参加した時に、いちばん最初に目に入った光景が、千賀先生に奈見先生が座礼して挨拶しておられる美しい姿でした。その後受付を終えてとまどっている私をご自身のとなりに導いてくださり、千賀先生にご挨拶するよう導いてくださったのも奈見先生でした。ぎこちなくご挨拶させていただき、奈見先生のとなりに戻ると、奈見先生は横たわってリラックスしておられました。それを見て、私も横たわりました。緊張や動揺で落ち着かない私をご自身の存在によってごく自然に導いてくださったのが、まだ名前も知らない奈見先生との出会いでした。』


なみに導かれ、という表現、波のように波動で導く奈見さんの人柄を連想させてくれますね。

 

感情の大海原を航りきり
雅楽の調べに舞う幸せよ

小山

父看取り 奇しきご縁で 舞の道

師より授かる 宇宙の叡智
 

嬰児(みどりご)と一つになりて舞う母と

輪に降り注ぐ 清らな光

小山

感動は 天から注ぎ 煌めいて
「私」消え去り 感謝の中へ

            石原

奧深く 曇りや穢れ 清めゆく
尊き光りに 向き合うこころ

鈴木

それぞれの 持ち場で光る 友たちの
星々の舞 手を合わせ観る

拡末

やわらかな 雨と光の 祝福の

夜明けに響く 友の悦び

 

(今朝は久しぶりに、阿蘇の外輪山から昇る朝日を拝むことができました。

とてもやさしい雨と光に満ちていて、特別な朝でした。

とても幸せで、この感じ、どんなふうに表したらいいだろうと思うと、芳子さんの御顔が浮かびました。

みなさんの踊る姿をうっとりとご覧になる芳子さんは、こんなにも感謝と感嘆でいっぱいなのだなと、気づかせていただきました)

拡末

風舞いて 小鹿のような 足どりで
春の芽吹きに 抱かれん

松岡

ぷっくりと ふくらむ花芽 陽をあびて
花咲くときを 待たれけるかな

江本

皆で舞う 和の空間や ビュルダー達
見えない柱 立てて静寂

容翠

空に満つ わだつみの息 雪と成り

白く覆うは 慈しみゆえ

小山

立ち並ぶ 木々に重なる 立ち姿
目に見えぬ軸 御柱を観る

石原

深海の 静かにたえなく 湧き出ずる
泉のごとし わの慈しみ

拡末

龍の水 荒く流れて 行く中で
指に触れたい 和のひと雫

佐藤

舞終えて 音なき波に 心ゆれ
みずから出づる 波音を聞き

平井

大地への ゆだねと共に 生まれ来る
きらめくしぐさ 受ける眼差し

新しき 世界へ移りし 舞い友に
さきくあれと 祈り捧げる

弘埜

越えてゆく 壁の向こうの 野の花の
たおやかなる背 人知れずとも

松岡

天界へ いざなう姿 気高くて
自ら立てと 弱きを拒む


天高く いざなう声に 飛び込もう
弱さもわたし あなたを信じ…

石原

野の山の 大地の鋭気 吸収し
あなたの元まで とどけこの風

大西

耳澄し ざわめきのなか ひっそりと
静けさに咲く 一輪の花

冨田

桜陰に舞いて浮かびし師の姿
永遠の安らぎ 秘めたる儚さ

 

授かりし おのが命の使い途
ただ 在れかしと 花びら一つ

小山

どの友も 今の自分を あるがまま
踊る姿や 愛おしきかな

竹内

愛ならず 苦難の道に 大愛の
萌芽宿りし  天命を知る

戸頃

母恋し ともにあゆまん 桜みち
かわもにうつる 夕陽まぶしき

櫛引

天命に  導かれたる  大愛に
委ねし友の  笑顔ほころぶ

 

友と舞う  別れの空に  霞む雲

遠く離れど  つながる中心

戸頃

わを成して 身体整え 張り作る
われ舞う道に 光舞い込む

佐藤

雨水も 轟く音も 静まりて

晴れ行く空に 虹は微笑む

冨田

どれだけの 孤独のり越え おとずるる

その静けさよ 美しき人

橋本

待ち焦がれ 春来たるらし 新芽の芽

命の息吹 心和ます


節目過ぎ 新たな学び求めんと

一人静かに 踊りの稽古

伊藤

東風ふけど 師の元飛べず 飛梅は
伊都の里にて ただただ舞わん

中田

先輩の 土台作りの お陰様 澄みわたる場で
稽古に勤しむ(いそしむ)

 

その響き  さらに伝えん 世界へと 
不動の核を つくり上げる

 

我為すは すべてを預け ひたすらに
御柱立てる  ことのみに注ぐ

 

そうだよね 語る以上に 通じ合う

深いうなづき こころも満ちて

 

それぞれに 至る過程は 違えども

辿り着く先 舞の世界へ

 川村

人もまた 自然のかけらと  みな識れば

進みゆく道 自ずと決まらん

入交

地の神に 手を合わす日々 始まりて

野の草いただく 悦びを知る

拡末

舞い友の 短歌なみだで にじむ今

共に流れる 想い隠せず

容翠

ひとしきり 悩んだ末に みえたのは

新しき世の まばゆい光

村上

君永遠(とわ)に   残して祭る   和と音と根(子)

野ワルツ 待てし  この庭と幹

 

(存在が祭りという形で調和とリズムと遺伝子を残してくれて、また自然と調和して大地で舞うのを楽しみに待っている気持ちを歌いました)

平井

知らぬまに 心の濁り 薄れゆく

輪のエネルギー 全身で浴び

 

(以前はイラっとしていたことが、同じような場面でそういうことはなくなりました。自分の力でどうにかできることではありません。そんな変化を起こしてくれる、わの舞はすごいなーと思います。)

 

師の言葉 胸に迫りて 沁みわたる

深き高き 言霊の調べ

 

からだ中 悦びの音 奏でられ

細胞すべて 舞うが如くに

 

(先生が講習のたびに話して下さることや講習録を読ませていただき、胸が高鳴ります。求めていたことをお伝えいただけるからです。実際にこんなお話をして下さる方がいるなんて、直接お話を伺うことができること、ありがたいです。講習録にまとめていただけることも感謝です。)

川村

木々は立ち 風ゆらめきて 花は咲き

匂い舞い降り 我らも舞わん

冨田

追いやりし 無垢な童が 顔を出し

弾む心で 微笑み交わす

小山

天女舞う 澄み渡る空間に 我もあり

あまねく天の 計らいを知る

 

わの舞の お稽古の朝 弾むこころ

身も軽やかに 家事テキパキと


委ねてる そうあるや否や 問うたびに

心の揺れも 静まりて


踊るだけ 踊っているだけ それだけで

私の世界 開かれていく


目の前に 広がる世界 言葉をも

理性をも超え いと高き次元 

川村

古の 尊き型を 引き継ぎて
大地の神に 祈り捧げる

弘埜

神代より継がれし瑞穂の環(わ)の国に

我ら集いて御柱立てん

小山

うつわ拭く 手を見下ろして ふと気づく

ひとつひとつが 愛しき仕事

 

(御柱の舞の際、45度下方のあゆみの部分で、ぐらぐらしてしまいました。常に意識してみたら?と考えたら、普段の何気ないことが45度下方にある気がして、愛おしくなってきました)

志村

 

千賀より:日常の生活とともに歩んでいるのが、すばらしいですね。行おうと本気で思えば、私たちは一日のすべての心と行動を、上方か下方への神聖意識のみから発動させることが可能です。踊りは日常生活から生まれるもの、そんな日本人になりたいですね。

 

天高く 龍雲集う 大館に
古人(いにしえびと)と 共に囲む輪

小山

嵐吹く 荒れ野にひとり 舞い立ちぬ

わが師の祈り 深さはかれず 


(防人の詩の間奏のときの先生を見たとき、衝撃を受けて涙があふれました。

私にとってわの舞はとてもきびしい道でもあります。

それでいいんだなと、思いました。)

本間

 

千賀より:風雪にたえるという言葉がありますように、自然界の存在には、風雪にたえる期間が必要ゆえに与えられるものです。人間も同じと思います。わの舞の生徒の中に、今大変大きな風雪にたえている渦中の人がいるため、私は恐縮ですが先日の防人の詩は一人の人に一心になっていました。まさに荒野に一人の心境で舞ってい ました。

 何も話していないのに、こうして以心伝心で響いてくださる方々がいらっしゃること、尊く、ありがたく、感じます。誰もが風雪には直面するものです。無言でお互いに助け合える関係を、これからも深められたらと思います。

 

慎ましく 祈る姿に 光射す

すべてを満たす 愛の温もり


(家ではわの舞のときのことを思い出しては幸せな気持ちになっています。よく思い出すのが、防人の詩にのせた先生の歩みの舞です。あれは一体なんだったんだろう?と理解できない何かがはっきりするまで感じてみようと思いつつも、いつも安心して眠くなって・・・。

 先生の祈りが天に届いて、天からやさしい光が射し込み・・・みんな淡く輝くセピア色の光の中に包まれていて・・・時が止まっているようでいて、悠久の時を一緒に過ごしてきたかのような・・・家族よりも家族みたいで・・・一言も発しなくても、すべてわかりあえるようで安心できて・・・すべてが満たされ他に何も必要なくて・・・私がいて、みんながいて、ただそれだけで幸せで・・・とっても穏やかで平安な気持ちになりました)

 

千賀より:『家族よりも家族みたいで』『私がいて、みんながいて、ただそれだけで幸せで』

一体感にふれたことがまっすぐに伝わるすばらしい言葉ですね。あの日の瞬間のこと、覚えています。こういう体験に一度でも出会うと、私たちはそれ以降、何かが違ってくるものです。最近の石原さんがすばらしいと思うのは、たとえ表情か明るくないときでも周囲の空間には光が射していることです。ずっとペースを崩さず参加し続けている一貫した姿勢が空間にも表れています。そうした積み重ねがあっての体験ですね。下記の短歌でも、本質に目を向けた普段の姿勢が伝わってきます。

 


超えられぬ 切ない想い 抱きしめて

真に向き合い 光の中へ

 

(…先生に褒めてもらった日、見られたくなくて泣きそうな気持ちでした。こんな気持ちを抱えたままでは空間を穢してしまうと思うと余計に泣きそうな気持ちになって・・・。でも、出来るだけ空間を穢さないように・・・出来るだけ心を静めて、中心軸に神様に向き合おうとしているうちに、こんな自分だからここにいるんだと自分が愛しく感じられてきて・・・私を愛で包み幸せをもたらしてくれた大切な人たちに幸せが訪れるように・・・私の愛で包んであげられますように・・・と祈るような気持ちになっていました…)

石原

 

千賀より:『真に向き合い』いい言葉ですね。真は芯でもありますね。

 

われすでに 満ちたり何も 欲せぬと
言わせるような 空の輝き

 

わが想い いずこへ向けて 注ぐとも
中御柱へ やがて届かん

 

ともに舞う なかまにあらわる 神姿 
おなじ高みに われをいざなう

 

背を昇る 熱き流れに 焼かれしは
光を見ない 濁りしおもい 

本間

背中見て  一なる世界にいざなわれ 
我また清く  軸立ち昇る
(昨日の最初の踊りの輪の中に先生の背中がありました。最初、先生の背中とは認識せずに、ただ私の目の前にあるその背中の美しさに涙が溢れました。「これが、舞(祈り)だ!」と思いました。ただ見ていただけで、私も清まりました。
背中を見て育つ、という言葉の本当の意味が分かった気がします)
関口

懐かしき 君の横顔 重なりて
心溢れる 愛しき想い

石原

陽の昇る まぢかの空の明色を

ふっくらつつんで こぼれる桜


いよいよに 雲の嶺の端 輝きて

今日を導くひかり生まれる

倉島

心地よく舞うと 感じる幸せを

知らない人にわかちあいたい

幼子の かつての心 そのままに
素のままに在る 懐かしの幹


(清らかな空間とみんなに包まれて、自分の中心と円の中心を全身全霊で感じていると、幼い子ども時代に戻ったかのような透明な感覚になりました。舞を通して、中心を育むことで、誰もがあのときのように、純粋に存在できる。そのことがとても嬉しく、自分の奥深いところが満たされていくのを感じました)


湧きいでる  芯のやさしさ  渾々と

すべてを愛せる  わたしと出会う

 

(踊りのときの空間を思い出しながら、言葉を紡いでみたのですが、詠んでいるうちに詠んでいる自分がまるで女性になったかのように感じられて不思議でした。内なる異性って本当にいるんだなぁとはじめて実感しました)

稲垣

遥かなる 神の御胸に 抱かれん

光り輝く 至福の世界

 

(ライアーの演奏であゆみの舞を舞ったときに感じたことです。自分がなくなればなくなる程、神様に近づいていける。まるで光輝く天界にいるかのようで、とても心地良かったです。舞い終わった後、なぜかわからないけど涙が溢れてきました。先生はこれこそ天に捧げる舞だとおっしゃっていました。喜びが溢れ体が震えました)

石原

おさなごを 抱くしぐさを 繰り返し

われ吾子なくも 慈しみを知る  

志村

清らかに 子供のように 舞踊る

         迷いこんだは 未来の楽園

 

静けさを まとい流るる 指先に

       ふれる空気の その心地よさ 

 

包まれて 皆で輪になり つないだ手

        君の想いが 僕に伝わる

中柱 まだ小さき ものなれど
   母なるひとの 柱でありたい

鈴木

天に舞い 大地に歩み つながれば

心うつりし 煌きの今


わの道を 澄みきり在りて 歩む時

 見渡すかぎり 天(あま)の尊さ

秀介

舞い終えて 青すぎる空 見て和む
曇一つ無い 心晴れ晴れ

 

天と地と 人とを繋ぐ 喜びに
天が橋立て 掛けし秋空

 

金銀の 重い鎖を 断ち切れば
 天にも昇る 想い軽やか

          中西

 わの舞を 舞って知りたる 生の蜜  
吾にも通る 天地の時空

 

舞うほどに ありがたさつのる この体

 宇宙芸術 妙味のるつぼ

容翠 

『関口さん,大西さん,本間さん,鈴木さん,林さんの

その他の短歌、詩』はこちら

 

 

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